テクノロジーの進化について

テクノロジーの進化は世の中をポップで明るいものにしたと思う。

 

昔は可視化されていない、明示化されていない、あいまいで、胡散臭い領域があった。そういった世界の混沌性、鬱屈とした成分が減少した。どちらかといえば、オープンな世界、検索すれば何でもわかってしまう世界、監視できる世界、ビッグデータが残ってしまう世界の方が、それでも、幸せであると思う。

 

テクノロジーの進化、それは全体としては好ましいことだと思う。

ゆく河の流れは絶えずしてしかももとの水にあらず。

みなさん、こんばんわ。

 

本日よりブログを始め、日々のできごとや徒然なる思いを書き連ねてみようと思い至りました。

そしていま鴨川の水面に映る灯りをながめながらふと筆を取りました。

 

休日に京都に来ているのも、京都芸大での演劇を見に来るためで、私は川村毅演出の「荒野のリア」を見ました。

権力を譲った娘たちに国を追われ、失意の中で狂気を孕みながら、荒野の中をゆくリア王が主題でした。

人に裏切られる悲しみ。権力や栄華を失ってしまう悲しみ。かつて立派だったものが、見るも無残になってしまう悲しみ。

普遍的な人の悲しみを感じるテーマです。

 

そしてまた、人の楽しみもそうそう変わっておりません。いつの時代になっても人は同じようなことをして過ごしています。

劇を演じたり、それを見たり。しばし日常生活を忘れること。街に繰り出して酒や美食を楽しんだり。人の娯楽は本質的には変わっていないのではないでしょうか?

そこには果たして何か発展性があるでしょうか。

 

 そういったことをこのブログでは考察していきます。